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ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ あらすじネタバレ!続編は何故コケた?

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ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ あらすじネタバレ

https://twitter.com/dc_jp/status/1839575707196022980

起:アーサー・フレックの現在と孤独

映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』は、前作『ジョーカー』(2019年)の衝撃的な結末から続きます。主人公アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、ゴッサム・シティで大規模な暴動を引き起こした後、アーカム矯正施設に収容され、物語はその収容生活から始まります。アーサーはかつてピエロの大道芸人として人々を楽しませ、夢破れたコメディアンとして苦しんでいましたが、今や完全に社会から切り離され、孤独の中で生活しています。

アーサーは病院内で孤立し、他の収容者や職員との交流はほとんどありません。彼の精神状態は悪化しており、薬物療法やセラピーにも効果が見られない状況です。前作での一連の出来事によって、彼の精神の均衡は崩壊し、かつてのジョーカーとしての「栄光」と、現在の無力感とのギャップに苦しむ毎日を送っています。彼の内面は、依然としてジョーカーとしての自己認識に対して揺れ動いており、自分自身が何者なのかという問いに対する答えを見つけることができないまま、物語が展開します。

承:ハーレイ・クインとの出会いと二人の関係の進展

物語が進む中、アーサーは新たな重要人物であるリー(レディー・ガガ演じる女性)と出会います。彼女は後に「ハーレイ・クイン」として知られることになりますが、当初はアーサーに特別な興味を抱いた精神科医として描かれます。リーは、アーサーが持つ独特のカリスマ性に惹かれ、彼の内面に深く入り込んでいきます。彼女はアーサーの心の闇に共感し、彼の内面を理解しようと試みますが、次第に彼女自身の精神的な不安定さも露わになっていきます。

リーとアーサーの関係は、単なる治療者と患者という枠を超えて、感情的な依存関係へと発展していきます。彼女はアーサーをジョーカーとして受け入れることを望み、彼を再び「ジョーカー」として目覚めさせようとします。しかし、彼女が愛しているのはアーサー・フレックという一個人ではなく、彼の中に潜んでいる「ジョーカー」というカリスマ的存在です。これにより、彼女の存在はアーサーにとって精神的な支えであると同時に、彼をさらに混乱させる要因ともなります。

二人の関係は次第に危険なものへと変わっていきます。彼女がアーサーをジョーカーとして完全に覚醒させたいと願う一方で、アーサー自身はその期待に応えようとしながらも、内面的には苦しんでいます。この複雑な感情のすれ違いが、物語の中盤で二人の関係に深刻な影響を与え、やがて破綻へと向かっていくのです。

転:アーサーの法廷での告白とジョーカーの否定

物語のクライマックスは、アーサーが法廷に立たされる場面です。彼はこれまでに犯した犯罪や精神状態の悪化が原因で、裁判にかけられることになります。ここでアーサーは、自分がジョーカーであることを否定し、単なるアーサー・フレックとしての自分を公に認めるという衝撃的な告白を行います。これは、彼の周囲の人々や信奉者たちにとって大きな裏切りであり、特にリーにとっては絶望的な宣言となります。

この告白により、彼をジョーカーとして崇拝していた信奉者たちは騒動を引き起こします。彼らはアーサーがジョーカーであり続けることを期待していましたが、アーサー自身がそれを否定したことで、彼らの信仰は根底から揺らぎます。暴動が発生し、法廷内は混乱に包まれますが、その中でアーサーは静かに自分自身の内面と向き合っています。彼は、自分がただの孤独な人間であることを受け入れ始め、ジョーカーという象徴的な存在が自分の中に本当に存在していたのか、疑問を抱くようになります。

リーもまた、アーサーの告白に大きなショックを受け、彼のもとを去ってしまいます。彼女が望んでいたのは「ジョーカー」としてのアーサーであり、単なるアーサー・フレックではありませんでした。彼女の離脱によって、アーサーは完全に孤立し、精神的にも追い詰められていきます。この時点で、彼はもはやジョーカーではなく、ただのアーサー・フレックという一個人に過ぎないという現実を突きつけられます。

結:アーサーの最期と新たなジョーカーの誕生

映画のラストでは、アーサーが再びアーカム矯正施設に戻され、彼の物語が終わりに向かいます。しかし、ここで物語はさらに大きな転換を迎えます。アーサーはアーカムの中で静かに過ごしていたところ、若い受刑者(コナー・ストーリー)に襲われ、ナイフで何度も腹部を刺されてしまいます。アーサーは地面に倒れ込み、そのまま息を引き取ったように見えますが、このシーンは彼が前作でテレビ司会者のマレー(ロバート・デ・ニーロ)を殺害した場面と対比されています。

このシーンにおいて、アーサーが死ぬことで「ジョーカー」という存在が終わるのではなく、むしろ新たなジョーカーが誕生することが暗示されています。彼を刺した受刑者は、自らの顔を刃物で切り裂き、笑みを浮かべるという衝撃的な行動に出ます。この描写は、ジョーカーという存在がアーサー・フレックという個人に限定されるものではなく、混沌や暴力、社会の歪みが生み出す象徴的な存在であることを示しています。

アーサー・フレックという一人の男が命を落としたとしても、「ジョーカー」という象徴は社会の中で生き続け、新たな姿で再び現れるのです。このラストシーンは、ジョーカーというキャラクターが単なる個人ではなく、社会に内在する混沌や不満、怒りを反映する普遍的な存在であることを強調しています。そして、ジョーカーは常に新たな形で現れ、次々と新たな「ジョーカー」が誕生していくというメッセージを伝えています。

総括

『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』は、アーサー・フレックという一人の男の物語の終焉を描きつつ、ジョーカーという象徴がいかにして社会の中で生まれ続けるのかを提示した作品です。アーサーは最終的にジョーカーを否定し、自らの存在を受け入れるものの、彼の死によってジョーカーという存在が終わるわけではありません。このラストシーンは、観客に強烈な印象を与えると同時に、ジョーカーというキャラクターの複雑さと、その普遍性を改めて考えさせるものでした。

ジョーカー:フォリ・ア・ドゥネタバレ感想・考察

『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』は、単なる続編以上に、前作で築かれたキャラクターの深みをさらに掘り下げ、物語を新たな視点で再構築する大胆な試みでした。特に、アーサー・フレックが自ら「ジョーカー」であることを否定するシーンは、前作で彼が苦しみながらも辿り着いた「ジョーカー」という存在を根底から覆す重要なポイントです。この場面は、多くのファンにとって驚きであり、ある種の裏切りと感じられるかもしれません。しかし、そこには深い意味が込められていると考えられます。

アーサーの自己否定とジョーカーの象徴性

まず、アーサーが「ジョーカーではなくアーサー・フレックに過ぎない」と宣言した場面は、キャラクターの心理的成長を示す一方で、ジョーカーという存在が単なる個人の枠を超えて、社会全体の象徴であることを示しています。アーサー・フレックという人物が「ジョーカー」を演じるのではなく、ジョーカーは社会が生み出す集合的な産物であるという解釈です。これにより、ジョーカーは特定の誰かに帰属するものではなく、社会の混乱や不満から自然に生まれ出る存在だと考えられます。

この視点で見ると、アーサーの自己否定は彼の敗北ではなく、むしろジョーカーというキャラクターの神話的な広がりを強調するものです。ジョーカーは特定の個人ではなく、混沌と絶望を反映した象徴的な存在であり、その役割は時代や場所に応じて異なる形で現れることが示唆されています。

ハーレイ・クインの役割

一方、レディー・ガガが演じたリー、後のハーレイ・クインは、アーサーとの関係を通じて彼の精神的な混乱を深めると同時に、彼女自身の内面もまた大きな変化を遂げています。彼女はアーサーの「ジョーカー」としての姿を崇拝し、彼を支配しようとしますが、アーサーがその期待を裏切ることで彼女もまた崩壊していきます。この点で、彼女のキャラクターはジョーカーというカリスマ性に取り憑かれた「信者」の象徴とも言えます。

彼女の離脱は、アーサーにとって大きな打撃である一方で、彼女が「ジョーカー」という偶像を追い求め続けることが、今後の物語の展開に繋がる可能性を秘めています。ハーレイ・クインが今後どのように「ジョーカー」の存在と向き合っていくのか、そして彼女自身がどのように変化していくのかが非常に興味深い要素となっています。

ラストの意味と新たなジョーカーの誕生

映画のラストでアーサーが若い受刑者に刺されるシーンは、前作のテレビ司会者マレーを殺害したシーンの反復として描かれており、ジョーカーの運命が一種の「巡り合わせ」であることを暗示しています。この瞬間、アーサー・フレックという個人は消え去り、代わりに新たなジョーカーが生まれる兆しが見えるのです。ジョーカーというキャラクターは、誰か特定の人物ではなく、社会の中で絶えず再生される存在として描かれており、これは非常に興味深い視点です。

ジョーカーは特定の個人の悲劇的なストーリーから生まれるものではなく、社会が抱える混乱や暴力が象徴として具現化する存在です。このラストシーンで描かれるように、ジョーカーはアーサー・フレックに限らず、どの時代でも新たな形で現れる可能性があるのです。この考え方は、ジョーカーがただのヴィラン(悪役)ではなく、時代や社会情勢に応じて変化する「混沌の象徴」としての役割を強調しています。

社会的メッセージ

また、この映画が提示するメッセージには、現代社会の問題点が色濃く反映されています。前作でも描かれたように、社会の中で見捨てられた者たちがジョーカーという存在に共感し、彼を英雄視する姿は、現代の格差や不平等に対する批判とも受け取れます。『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』では、このテーマがさらに掘り下げられ、ジョーカーという存在が社会の中でいかに再生され続けるかが描かれています。これは、現代社会が抱える「抑圧」と「爆発」を象徴するものでもあり、物語の背後には深い社会批評が込められています。

結論

『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』は、前作と同様に挑発的であり、観る者に多くの疑問を投げかける作品です。アーサー・フレックという一個人がジョーカーを否定し、自らの存在を消し去る一方で、ジョーカーという象徴は新たな形で再生されるという結末は、非常に示唆に富んでいます。この映画が描くジョーカー像は単なる犯罪者や狂気の人物ではなく、社会の歪みや不満が具現化した象徴として、時代や社会に対する批判を反映しています。

最終的に、『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』は、単なるエンターテインメント映画ではなく、現代社会に鋭く切り込む作品であり、観る者に深い余韻を残します。映画のラストは、「ジョーカーとは何者か?」という問いに対して明確な答えを出さず、むしろ観客に考えさせる余地を残しています。このような結末は、ジョーカーというキャラクターの複雑さと、その象徴的な役割を改めて強調するものです。

キャスト

アーサー・フレック/ジョーカー – ホアキン・フェニックス

『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』で再び主役を務めるのは、前作でアカデミー賞主演男優賞を獲得したホアキン・フェニックスです。アーサー・フレックとしての彼の演技は、内面的な苦悩や狂気を深く掘り下げ、観客に強い印象を与えました。今回も、アーサーがどのようにしてジョーカーという存在から逃れようとするのか、彼の心理的葛藤を繊細に表現しています。

リー/ハーレイ・クイン – レディー・ガガ

リー役を演じるのは、アーティストとしても活躍するレディー・ガガです。彼女は、精神科医としてアーサーに関わりつつ、やがて「ハーレイ・クイン」というキャラクターに変貌していく複雑な役を見事に演じています。レディー・ガガは、彼女自身の音楽的な才能を生かし、劇中のミュージカルシーンでも重要な役割を果たしています。

ジャッキー – ブレンダン・グリーソン

ブレンダン・グリーソンは、アーカム矯正施設の看守ジャッキー役を演じています。彼のキャラクターは、アーサーとの接触を通じて物語の進展に重要な役割を果たします。冷静でありながらも、アーサーに対して特別な興味を持つ人物として描かれ、アーカム内での人間関係を複雑にしています。

メリーアン – キャサリン・キーナー

キャサリン・キーナーは、メリーアンという役で登場します。彼女は物語の一部でアーサーやリーに対して重要な関わりを持ち、彼らの関係をさらに深めるキャラクターとして描かれています。キーナーの演技は、物語の中での緊張感や人間関係の変化を巧みに表現しています。

ソフィー・デュモンド – ザジー・ビーツ

ザジー・ビーツは、前作から引き続きソフィー・デュモンド役で出演します。彼女は、アーサーの近所に住む女性として前作で重要な役割を果たし、今回もアーサーの心の中で重要な存在として描かれます。ビーツの演技は、現実と幻想が入り混じるアーサーの内面をうまく反映させています。

スタッフ

監督 – トッド・フィリップス

『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』の監督を務めるのは、前作に引き続きトッド・フィリップスです。フィリップスは、コミックブック映画の枠にとどまらず、社会的メッセージや心理的要素を巧みに取り入れたストーリーテリングで注目を集めました。今回の続編でも、彼はジョーカーというキャラクターをさらに深く掘り下げ、観客に強いインパクトを与える作品を生み出しました。

脚本 – トッド・フィリップス、スコット・シルヴァー

脚本はトッド・フィリップスとスコット・シルヴァーによって共同執筆されています。前作でもタッグを組んだ二人は、今回も社会的なテーマやキャラクターの内面を掘り下げ、ジョーカーという象徴的な存在をより複雑に描き出しました。彼らの脚本は、ただのアクションやサスペンスにとどまらず、心理ドラマとしての深みを与えています。

音楽 – ヒドゥル・グドナドッティル

音楽を担当するのは、前作でアカデミー賞を受賞したヒドゥル・グドナドッティルです。彼女の作り出す重厚で不安感を煽るサウンドトラックは、物語全体に緊張感を持たせ、観客の感情を巧みに操作します。今回の作品でも、音楽が物語の雰囲気を大きく左右する要素として機能しています。

撮影監督 – ローレンス・シャー

撮影は、ローレンス・シャーが担当しています。彼のビジュアルスタイルは、暗く冷たいゴッサム・シティの雰囲気を完璧に捉え、ジョーカーの内面世界を視覚的に表現することに成功しています。シャーの撮影は、前作のスタイルを引き継ぎつつも、新たな視覚的アプローチを取り入れ、物語にさらなる深みを与えています。

プロデューサー – トッド・フィリップス、ブラッドリー・クーパー、エマ・ティリンジャー・コスコフ

トッド・フィリップス自身が監督と脚本に加えて、プロデューサーも務めています。また、前作でも協力したブラッドリー・クーパーやエマ・ティリンジャー・コスコフがプロデューサーとして参加し、作品の全体的なビジョンを統括しています。彼らは、ジョーカーの続編として期待されるものを超えた、挑戦的な映画作りを推し進めました。

編集 – ジェフ・グロスヴェンナー

編集は、ジェフ・グロスヴェンナーが担当しました。彼の編集技術は、物語のテンポを巧みにコントロールし、緊張感や感情の高まりを効果的に表現しています。特に、アーサー・フレックが精神的に崩壊していく過程を映像的に組み立てる編集の巧みさは、映画全体の力強さに貢献しています。

このように、キャストとスタッフはそれぞれの分野で高い評価を受けており、『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』を芸術的にも評価の高い作品へと仕上げました。それぞれの貢献によって、この映画は単なる続編を超え、観る者に強烈な印象を残すものとなっています。

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