2025年1月に67歳で逝去した経済アナリスト・森永卓郎氏。庶民の味方として愛された”モリタク”の波乱の人生、輝かしい経歴、そして最期まで貫いた情熱的な生き様に迫ります。
森永卓郎氏【魂の経済アナリスト】の学歴
【幼少期~学生時代】
1957年、東京都目黒区に、毎日新聞記者の父・京一と母の間に誕生しました。
運命は早くも森永少年を世界へと導きます。
父の海外赴任に伴い、小学1年でボストンへ。
さらに4年生でウィーン、5年生でジュネーヴと、幼くして世界を経験します。
特にウィーン時代は、言葉の壁に苦しみ、現地校でいじめも経験。
この苦難の中で、父から慰めとしてもらったミニカーのコレクションが、後の「B宝館」設立の原点となるのです。
帰国後は新宿区高田馬場に住まい、落合中学校を経て、都立屈指の名門・戸山高校へ。
そして1976年、東京大学理科二類に現役合格という栄光をつかみます。
在学中に経済への興味を深め、経済学部経済学科へと進路を変更。
1980年、東京大学を卒業し、エリート官僚の登竜門とも言える日本専売公社(現JT)への道を選びます。
森永卓郎【破竹の経歴】
JTでは管理調整本部主計課資金係に配属。
しかし、その才能は既存の枠に収まりきらず。
1982年には日本経済研究センターへ出向し、予測研究員として手腕を発揮。
1984年には経済企画庁に出向し、未来を見据えた経済分析の経験を積みます。
興味深いことに、この頃からバブル経済を予見し、自身も年収300万円で所沢市に中古戸建てを購入するという実践的な投資を行いました。
三井情報開発総研、三和総研、UFJ総研と、日本経済の中枢機関で次々と重要ポストを任されます。
1990年代後半、テレビ番組『アクセスNOW』での経済解説を皮切りに、メディアでの活動を開始。
わかりやすい解説と鋭い指摘で「モリタク」の愛称とともに、たちまち人気者に。
2006年からは獨協大学経済学部教授として、その知見を次世代に伝える立場も担います。
森永卓郎【家族とプライベート】
2歳年下の妻との結婚は、森永の「怒らない性格」が決め手だったとか。
仕事人間だった森永は、妻と二人の息子からは「母子家庭のような暮らし」と言われるほどの働きっぷり。
長男・康平氏は父の道を選び、経済アナリストとして活躍。
ただし、父とは対照的に「機械音痴でPayPayも使えない」という異なる個性の持ち主。
次男はITエンジニアとして、デジタル時代を生きる才能を開花。
森永卓郎【コレクター魂】
54ジャンル、約10万点という膨大なコレクションを所有。
食玩、アニメフィギュア、有名人の直筆サイン入り名刺、消費者金融のポケットティッシュ、携帯ストラップ、テレビ局ノベルティ、グリコのおまけなど、庶民の暮らしに寄り添うアイテムを収集。
2014年には所沢市に「B宝館」をオープン。
年間900万円の赤字を出しながらも、日本の庶民文化を後世に伝える情熱を貫きました。
森永卓郎【最期まで貫いた信念】
2023年末、原発不明がんとの診断を受けるも、最後まで経済アナリストとしての発信を続行。
亡くなる前日の2025年1月27日まで、文化放送「ゴールデンラジオ」に出演。
「社会を分断させてボコボコにすることがいいことか、報復の連鎖が続くと良くない」と、最期まで社会への警鐘を鳴らし続けました。
67年の生涯を通じて、庶民の味方として、そして鋭い経済観察者として、揺るぎない足跡を残した森永卓郎。
その遺志は、今も多くの人々の心に生き続けています。